あやめ公園の成り立ち
長井のあやめ公園は明治43年の創始。今は極早生の花菖蒲が咲き始めている。なぜに花菖蒲なのにあやめ公園なのか、よく耳にする質問である。その歴史をたどってみよう。
あやめ公園と名付けたのは
あやめ公園は、明治43年に金田勝見が現公園高台下に花菖蒲を植え、茶店を構えたことに始まる。元々ここは、野川の氾濫原で宮区の採草地であり杉林もあったところだ。宮区の財源を補うために杉がだんだん切り倒されていく。高台は明治40年に「宮公園」として宮区で公園化をはじめたもの。明治45年、杉林十町歩(3万坪)余りを伐採したことを契機に公園化を図っていった。
大正3年5月、宮区で管理していた宮公園が長井町も関与するようになった。そこで名付けられたのが「あやめ公園」だ。大正3年というと、軽便鉄道が赤湯・長井間が開通して長井駅が開設する年。加えて電灯が初めて灯った記念すべき年である。
花菖蒲を植えているのに「あやめ公園」
多くの方にこの質問を受ける。大正3年に名付けられたことはわかっているが、その経緯は残念ながらわからない。しかし、花菖蒲のことは昔は「花あやめ」といっっていたし、「あやめ」を漢字で書くと「菖蒲」だったり、全国でも公園名に平仮名で「あやめ」を使用しているところが結構ある。総称として平仮名の「あやめ」を使う習慣があった。
2015.06.15:[ながいの花新着]