重要文化的景観

最上川上流域における長井の町場景観

文化的景観とは?

「文化的景観」とは、単に景観の美しさだけではなく、景観が古代から偏在までどのように形づくられてきたか、その成り立ちにも注目が置かれます。

地域の自然と歴史、風土、そして人々の営みが相まって、文化的景観をつくり、その中でも重要とされる地域が「重要文化的景観」として国に選定されます。

国内では73か所(令和6年10月時点)の選定があり、平成30年2月13日にここ長井の「小出地区」「宮地区」「最上川流域」が選定されました。

最上川流域の歴史と変遷

野川自然段丘と二本の最上川河岸段丘

長井の今日の地形は、長井盆地を西から東に流れる「野川」と、南から北に流れる「最上川」によって形づくられました。
長井盆地の西に位置する西山(朝日連峰の一部)から流れる野川は山から抜けたところで直角に折れ曲がり、一旦雨が降ると暴れ川となって、町の中心部に流れ込んでいました。
そのため野川扇状地上には自然堤防が作られました。この馬の背状の微高地には、今でも各時代の遺跡を確認することができます。また、最上川による河岸段丘と思われる地形が見られ、町場形成に大きく関わっています。

町場の形成

元禄7年(1694)に米沢藩の宮舟場が設置されたことにより、長井は宮地区の遍照寺を中心とした寺町、小出地区の白山神社を中心とした寺町とが繋がり、次第に町場が形成されて行きました。
最上川舟運では、宮舟場から米・青苧、生糸、漆などが京大坂へ、そして米沢藩には反物・古手・太物・金物・塩・干魚などが輸入されたとされています。

主な見どころ

平山の「締切堤防」

扇状地で生活を営む住民は、古来からこの暴れ川(野川)と闘い、治水利水に苦心を重ねてきました。
宝暦7年(1757)の大洪水では、町場や船着場まで被害が及び、幕府直轄による締切堤防の造営が行われました。
堤防は今なお最上川舟運で繁栄した舟運文化の面影を現代に残しています。江戸期、明治期、昭和期のそれぞれの堤防が見られます。

立体水路

利水でも珍しい立体水路を見ることができます。それは、大樋川(上)と野呂川(下)の交差水路で、大水の時はオーバーフローで水量調節を図り、普段は白山舘への水路として活用したものです。

「かわど」

敷地内に水路を引き込み、利用する「かわど」は、現在の台所の役割を持っており、多くの町屋で使われていました。文化施設「旧丸大扇屋」にその名残を見ることができます。

景観マップ

宮エリアの町場景観

小出エリアの町場

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