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わがうちなる長井線 その2

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わがうちなる長井線

                     芳賀秀次郎

その頃の汽車は、いかにも小さな箱型で、ぼくらはこれをマッチ箱と呼んでいた。これには本線を走っている立派なボギー車との比較による、やや軽侮の感じもないわけではなかった。しかし、このマッチ箱という呼名には、もっと素朴であたたかい親愛の気持ちがこめられていた。…略…。

 

【写真:白鷹想い出写真館より】

  蚕桑駅昭和28年(1953年)頃

     鮎貝駅から修学旅行に出発  昭和10年(1935年)頃

2019.10.10:[案内人新着]

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斎藤 理喜夫 ( )

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