軽鉄人物伝? 荒砥町6人衆(その3)
この度、南陽市宮内にある「ふるさと資料館・時代のわすれもの」さんから、大変貴重な資料を見せていただいた。これは大正8年6月の日付があり、床次竹二郎鉄道院総裁にあてた請願書であり、請願者には荒砥町長のほか東五百川村、大谷村(現在の朝日町)も含めて6名の連名となっている。
これまで「荒砥町5人衆」として紹介して来たが、この時期の荒砥町長は本間猪吉氏であり、題名を「荒砥町6人衆」と改めて逐次紹介していきます。「鮎貝を終点とする」との国の方針に挑んだ地方人の思いが、切ない程に伝わるような資料だと思います。どうぞお楽しみに。
【資料提供:ふるさと資料館(南陽市宮内)】
2019.07.18:[案内人新着]
おらだの会