わがうちなる長井線
芳賀秀次郎
その頃の汽車は、いかにも小さな箱型で、ぼくらはこれをマッチ箱と呼んでいた。これには本線を走っている立派なボギー車との比較による、やや軽侮の感じもないわけではなかった。しかし、このマッチ箱という呼名には、もっと素朴であたたかい親愛の気持ちがこめられていた。…略…。
【写真:白鷹想い出写真館より】
蚕桑駅昭和28年(1953年)頃
鮎貝駅から修学旅行に出発 昭和10年(1935年)頃