縄文から南北朝時代
長井盆地には、古くは縄文の世から人が暮らしていました。中世に入る大化の改新(645)直後には、置賜の郡が置かれています。時が進み平安中期から鎌倉時代にかけて、平泉藤原文化の傘の下で大きく飛躍しました。鎌倉御家人・大江時広が地頭となると、置賜一円を「長井の庄」と改めます。そして、宮村は總宮神社の門前町に、小出村は白山舘を中心に栄えました。
南北朝時代の天授6年(1380)に伊達氏が長井の領主になり、天正18年(1590)には蒲生氏郷に、その後上杉景勝と支配者が変わりました。
總宮神社。長井あやめ公園向かいに位置する長井一の宮。 秋には隠れた紅葉スポットとして人気がある。
江戸時代〜
上杉時代の長井は、最上川舟運の歴史と共にあります。元禄7年(1693)に上杉家の御用商人・西村久左衛門による白鷹町の最上川黒滝の開鑿によって、最上川舟運が長井の地まで可能となり、宮舟場ができます。以降、商品経済が急激に進み、門前町であった町並みに大店が加わり米沢藩内有数の商業都市となりました。
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最上川舟運で栄えた商家の1つ「丸大扇屋」。平成15年山形県の県指定文化財に指定される。
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市内を縦横に流れる水路。まち歩きのコースにもなっている。
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宮船着場跡。ここから眺める大迫力の最上川。春は梅林や最上川堤防千本桜が楽しめる。
明治時代から現代
明治になると西置賜郡役所が置かれ、経済・行政の中心となり、その役割を担っていきます。大正3年には現在のフラワー長井線の元となる軽便鉄道が開設、長井の産業に大きな影響力を持ちます。
昭和29年には1町5か村が合併、長井市が誕生しました。合併後60年を超え、益々の発展が期待されます。最上川舟運によって培われた気運、エネルギーは今に引きつながれ文化的景観の残る長井市を形成しています。
新幹線の停車駅でもある赤湯駅から川西町、長井市を通り、白鷹町の荒砥駅まで、片道約30Kmを1時間ほどかけて結ぶフラワー長井線。
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小桜館(旧西置賜郡役所)平成8年長井市有形文化財の指定を受ける。現在は地域活動の場となっている。
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平成26年8月、市制60周年記念のパレードやイベントが盛大におこなわれた。