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朝日軍道

慶長3(1598)年、上杉景勝が米沢を預かるようになり、景勝のもう一つの所領である庄内と米沢領を最短ルートとして部下の直江兼続に開かせたのがこの「朝日軍道」です。
長井市草岡の中里から葉山山頂を経て、朝日連峰の主脈を通って庄内に抜ける60?にわたる壮大な山岳道路で、現在の縦走路の原型になったものです。「直江軍道」「庄内直路(しょうないすぐみち)」とも呼ばれていました。
庄内は当時、会津や米沢とかけ離れていて、他国を通らなければ連絡がとれませんでした。将来予想される徳川方(最上義光、伊達政宗など)との対決を前に、領地を接している最上義光への対策として密かに開いたとされ、関ヶ原の戦いや最上戦争の際には、この朝日軍道が置賜と庄内間の連絡路として重要な役割を果たし、軍道としての真価を発揮したといわれています。

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