千年の帷の古より伝わる水神の舞

ながいの黒獅子

長井の黒獅子は黒く、目玉が丸く飛び出ており、眉が目玉の後方に位置しています。前後に面長、漆黒の獅子頭は「蛇頭」と呼ばれるこの地域特有のものです。その獅子頭に波頭を表した大幕をつけ多人数の舞手が入る獅子は「むかで獅子」とも呼ばれ、躍動的で力強い迫力があります。

この獅子舞は安産や火伏せ、厄除け、子供の成長等を祈願する伝統神事として市内約40の神社に伝わっており、各神社の例祭日には警護に先導された黒獅子が各地区の氏子一軒一軒をねり歩き、払い清めます。

毎年5月下旬には市内の神社十数社が一同に会する「ながい黒獅子まつり」が行われます。

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黒獅子の歴史

古くから人々は太平安泰を求め、神を心の拠りどころとして社を建立し、五穀豊穣・無病息災を祈願してきました。

伝承によると、「宮村昔ばなし(宮の總宮神社伝)」に軍士ヲシテ獅子ヲマワシムとあり、今から約千年程前、源頼義が前九年の役(1051年~1062年)の戦勝祝いと併せ、宮・總宮神社(現在)の社殿を再建した時、軍士たちに獅子舞をさせたのが始まりといわれています。

この獅子舞は野川上流の三淵に身を投じた「卯の花姫」が竜神となり、總宮神社の例大祭に招かれ、野川の流れを下る姿であると言われています。

卯の花姫の伝説

野川の上流に秘境、野川渓谷・三淵(みふち)があり、この三淵には卯の花姫の悲恋伝説があります。

平安時代、東北地方を治めていた安倍氏には、卯の花姫と呼ばれる美しい息女がいました。姫は敵の武将に恋をしてしまい、ある戦でこの武将の策略にはまり、味方の軍法を教えてしまいます。これが原因で戦に敗れ、父を戦死に追い込んでしまいました。姫は、父を殺したのは自分であると嘆き、悲しみに打ちひしがれました。

敵の軍勢に追われた姫は三淵まで逃げ込んできましたが、もはやこれまでと三淵に身をなげてしまいます。すると姫の沈んだ辺りから大きな竜が現れ、上流に泳いでいくのが見えたそうです。その三淵の地には竜神を祀る三淵神社が建てられ、長井の里の宮(總宮神社)の奥の院としました。

毎年、「長井の里の宮(總宮神社)の例大祭」には「卯の花姫」が招かれ、竜の姿(大蛇)になって野川を下り、雨を降らせるという言い伝えがあります。

各神社と黒獅子

上伊佐沢地区 伊佐沢神社
(かみいさざわ いさざわじんじゃ)

上伊佐沢に八幡神社が、中伊佐沢に稲荷神社がそれぞれ祀られていました。大正8年、二社の中間地点である現在地に合祀され、「伊佐沢神社」となりました。例祭日には伝統の庭獅子を奉納しており、近年は小・中学生による子供獅子も奉納しています。置賜地方で一番早く例祭が行われることでも知られています。
この神社には「婆獅子」と呼ばれ、神社の境内のみを舞う庭獅子もあります。

写真:2025年撮影

九野本地区 稲荷神社
(くのもと いなりじんじゃ)

大同2年(807年)に九つの野を開墾し、京都伏見稲荷より御分霊の稲荷大明神を勧請し祀られたと伝えられております。天保12年、明治44年、昭和42年の3回社殿の再建が行われました。獅子舞が行われたのは、明確でありませんが240年程前、野川の大洪水により田畑が荒れたのを復起し災害が起こらないよう神に祈ったと伝えられています。

写真:2025年撮影

平山地区 熊野神社
(ひらやま くまのじんじゃ)

古来より地域住民の山頂鎮座の産土神として信仰が厚く、本殿(奥の院)は出羽丘陵600米の熊野山頂にあり寛政3年社殿を再建。祭事は元菅原神社で斎行され、昭和9年出羽神社を合祀し同11年に菅原・諏訪・白山・稲荷各神社を合祀し以来、平山中の鎮座として崇敬されています。舞の中で警護棒を獅子頭の口に噛ませてステローを懸けるのが市内の神社では見られない特徴です。

写真:2025年撮影

寺泉地区 五所神社
(てらいずみ ごしょじんじゃ)

古来より、朝日岳・祝瓶山は山岳信仰の霊場として栄え、朝日山大権現と言われていました。寛治4年(1090年)源義家の命により、朝日岳・岩上岳・小朝日・月ヶ峰・三淵の五カ所を合祀したと伝えられています。これ以後、五所大明神と称され、地名も五祭所と改められました。

写真:2025年撮影

宮地区 總宮神社
(みや そうみやじんじゃ)

總宮神社の獅子舞は、長井の獅子舞の起源といわれています。今から千年程前長井地区は前九年の役の戦いの中でした。敗軍の将の娘「卯の花姫」が野川の上流の三淵から身を投げ、大蛇となり民を守り神に祀られました。里宮である總宮神社に下ってくる姿が獅子舞になったと言われています。總宮神社の獅子舞は、伝統と歴史を感じる格式高い獅子舞です。市指定無形民俗文化財。

写真:2025年撮影(提供)

勧進代地区 総宮神社
(かんじんだい そうみやじんじゃ)

健保2年(1214年)の創建と縁起録に伝えられています。明治の神社合祀令により八幡・稲荷二社・皇大・熊野各神社を合祀し総宮神社と改称。獅子の動きの特徴は、神社から出るときの静かな動きに対し、庭舞の動きの荒々しさ静と動の組み合わせが見どころ。警護の役目も他の神社と違いますので注目ください。

写真:2025年撮影

泉地区 羽黒神社
(いずみ はぐろじんじゃ)

昭和36年の大雪により、最上川対岸の羽黒山に鎮座する社殿が壊れたため氏家全員の協力のもと、昭和52年現在地に再建されました。
地区の境では、警護が獅子を先導しますが獅子はこれを嫌い、獅子の幕がアイロンをかけた様に張られるところが見どころです。

写真:2019年撮影

白兎地区 葉山神社
(しろうさぎ はやまじんじゃ)

元々は、古代山嶽信仰の山の神として、また作神様として葉山山頂に祀られ、葉山権現とも称されておりました。その後、現在地に勧請されました。また、葉山山頂には葉山宮と月山宮の2社が祀られており、20年に一度の「お建て替え」を行い、現在まで続いております。
「白兎」という地名も世界で唯一です。

写真:2025年撮影

九野本地区 八雲神社
(くのもと やくもじんじゃ)

神社の創立は大治3年(1128年)、京都・八坂神社より御分霊を勧請し建立。元禄2年と天明3年に社殿を改築。ご神体はこのあたりの神社では珍しい600年前の宥日上人の作と伝えられる牛頭天王(約8寸の立像)です。昔は疱瘡の神として信仰が篤く、健康と交通安全の神様として崇敬されています。

写真:2025年撮影

草岡地区 津嶋神社
(くさおか つしまじんじゃ)

草岡地区は縄文時代から人が集まり、いつのころからか人々は神を心の拠りどころとしたのが津嶋神社です。京都の八坂神社より分霊を勧請。
この獅子舞の特徴は獅子頭は口を開ける以外ほとんど動かさない点です。警護と一体で行動する動きも落ち着いた所作であり、威厳さえ感じさせる振りは圧巻です。

写真:2025年撮影

森地区 津島神社
(もり つしまじんじゃ)

天和2年(1682)年の創建とされています。天保の年代、疱瘡が流行し、白蛇が出て住民をひどく困らせました。その折、安松寺住職に依頼し、須佐之男命を祀り、疫病退散祈願を行いました。満願の夜、雨風強く、雷山鳴動し、その後風雨晴れ深潭平田となり、村は安泰となりました。

写真:2025年撮影

時庭地区 豊里神社
(ときにわ とよさとじんじゃ)

正和3年(1314年)の創立と伝えられ、大正6年に八幡神社と稲荷神社を合祀、大正9年に名称を豊里神社と改めました。
本殿の彫刻は文化財的価値がある素晴らしいものです。現在は、その保護・保存に努めております。

写真:2025年撮影(提供)

小出地区 白山神社・皇大神社
(こいで はくさんじんじゃ・こうたいじんじゃ)

小出の獅子の起源は古く神事として始まり、氏子による獅子連中の結成も最古。市指定無形民俗文化財。白山神社のご神体は行基僧正(平安時代)作といわれ、後の1264年、加賀白山比咩神社の分霊を勧請し現在の神殿となりました。皇大神社は伊勢神宮の社殿一宇を拝受し置賜一円の総鎮守として鎮座しています。菅原白龍が明治6年、祠掌として二社兼帯の歴史があります。

写真:2025年撮影

十日町地区 白山神社
(とおかまち はくさんじんじゃ)

宮地区は大昔加賀地方から移された百姓が拓いたと言われ、加賀白山を勧請し、鎮守としてきました。明治になって白山権現は白山神社と改めましたが、度々火災に遭いました。
昭和6年にも焼失し、翌年現在の社殿が再建されました。水の神として農家や酒屋などから崇敬されています。

写真:2025年撮影

歌丸地区 歌丸神社
(うたまる うたまるじんじゃ)

和銅5年(713年)に宇佐八幡宮より分霊されたと伝えられ、昭和21年には子宝の神として有名な大宮子易神社と合祀し、歌丸八幡神社から現在の「歌丸神社」に改称。口を大きく開け、地面に顔が付くほどに反り返った後に歯で大きな音を出す「御信心(ごしんじん)」や警護に大きく寄り掛かる勇壮な「見返し」。大きく開けた口の中に杯ごとお神酒(みき)を頂く姿は、他では見られない特徴的な獅子舞いです。

写真:2025年撮影

河井地区 若宮八幡神社
(かわい わかみやはちまんじんじゃ)

創立は、元禄4年(1691) 京都若宮の分霊を祀る。大正15年豊受比売命、 八幡神社に合祀。この地の獅子舞は、経験豊かな人が多く、近年、黒獅子祭りの参加、長井南バイパスの開通により河井地区の知名度もあがり、地区上げての例祭へ多方面より見に来られる方が増えています。

写真:2025年撮影

九野本地区 稲荷神社
(くのもと いなりじんじゃ)

大同2年(807年)に九つの野を開墾し、京都伏見稲荷より御分霊の稲荷大明神を勧請し祀られたと伝わります。
天保12年、明治44年、昭和42年の3回社殿の再建が行われました。 獅子舞は、今から240年前、野川の大洪水により田畑が 荒れたのを復起、二度と災害の起こらないよう神に祈ったとされ、今日に伝えられています。

写真:2025年撮影

成田地区 成田若宮八幡神社
(なりた なりたわかみやはちまんじんじゃ)

天喜年中(1053~)に源頼義が造ったとされ、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請、館に建て、若宮八幡とよばれました。明治42年(1909)に三嶋、飯綱、羽黒を合祀。獅子は気も荒く、獅子を押さえる役目の角力は、村一番の強者がつとめるといわれています。

写真:2024年撮影

五十川地区 蘊安神社
(いかがわ うんなんじんじゃ)

この神社の獅子舞は、周辺地区の総宮神社の流れの蛇頭系とは異なり、静動取り合わせた振りが特徴的で、蛇ではなく獅子(ライオン)を表しています。獅子頭は前後に長く、顔が見えないぐらいに毛深いのが特徴です。氏子と村を守るための獅子として、氏子のある地区から出たことがありません。

写真:2023年撮影(提供)

中道地区 番神宮
(なかみち ばんじんぐう)

寛政5年に中道番神宮を立て尊崇したのが始まり。獅子舞は平成15年から行われています。

写真:2024年撮影(提供)

獅子頭の違い

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